美人研鑽

書きたいことを書く。

写真写り

写真写りが悪い。

 

いや。もしかしたら写真通りの見た目なのかもしれない。

なにせ、自分を実際に見たことがないのだから。

 

いずれにせよ、自分の認識と写真に写る自分の姿との違いにはいつもギョッとする。

あるいはがっかりする。

これが私?ひどい顔!すごく太っている!変な表情・・・。

 

そうであるので、写真にうつるのは嫌なのだが、

それでも止むを得ず写真にうつることになった時は、

いやだな〜と思いながらうつるのでますます感じ悪くうつり、

そして、それを見てますます嫌になるという悪循環に陥る。

 

 

いつも完璧な表情とポーズで写真にうつる人がいる。

モデルさんや芸能人でもないのに、写真とるよーとなると

絶妙な表情と角度でぱっとポーズを決め、それはそれは綺麗に写っている。

写真にうつるその人は実物としてのベストかそれ以上の出来で写真に収まっている。

 

どうやったらあれができるのだろう。

慣れか?

それともなにか知られざる技があるのだろうか?

 

 

 

写真に幸せそうな姿で映れない人は幸せになれないという話を聞いたことがある。

表面的にですら幸せそうに出来ない人には

実質的な幸せも感じられない(=幸せではない)。

そんなような理屈だったと思う。

 

その通りとは思わないまでも、当たらずとも遠からずな気もする。

幸せであれば幸せな表情になるだろうが、

幸せそうな表情をしているから幸せになるということもありそうだ。

笑う門には福来る、と言うし。

 

美人だから美人に写るのではなく(もちろんそれは当然あるのだけれど)

美人そうに写ることで美人になることもあるかもしれない。

 

じゃあ「美人そうに」とは何かということになるのだが・・。

それではなんだか勘違い感が出てしまいそうな気もする。

 

「楽しそうに」はどうだろうか。

形の美醜は別として、楽しそうな人というのは美しく感じる。

楽しそうにならできるかもしれない。

容姿はすぐには変えられないが、気持ちはすぐにでも変えられる。

 

 

楽しそうに写るうちに楽しくなってくるかもしれない。

楽しくなってきたら表情や顔立ち自体もおのずと良くなるかもしれない。

表情や顔立ちが良くなれば写真にうつるのも楽しくなるかもしれない。

好循環だ。

 

よし!

まずは、楽しんで写ることから始めてみよう。